多くの人たちが会場の異形の絨毯に気づかれているようです。先日もUNHCRの方が「何で戦車が絨毯に!戦争中の子どもたちの絵にこんな雰囲気を見たことがある」とか「戦車の絨毯」とか捉えられているようです。モルドバ大使館の方は、最初に展示してある1975年のマオリに「ステキ!アンティック」と声を挙げ、横の悲しい絨毯に論評しませんでした。アフガニスタン大使館の男性は、この展示に満足気でした。色々な国、様々な人たち、それぞれの感じ方があるでしょう。異形の絨毯は、通常War Rugと呼ばれ、1980年頃から2021年のアフガニスタン戦争の最中に織られました。絨毯輸出を高めて職工として雇用を増やす、という事例は、イランやアフガンでも過去に見られました。ペルシアでは、特に輸出向けのスタイルとして作られたものも在ります。展示の水色の地図絨毯を見て1970年代に見たことがあると今回、鎌仲さんから伝えられました。絨毯屋ではなく外国人に人気のチキンストリートだったということです。今回、絨毯の間に7篇の英語版綴を吊るしました。そこには更に沢山のデザインのWar Rugがプリントされ、各々論評がなされています。特に注釈は付けていません。深く知りたい方への参考になればという仕立です。その中に地図のスタイルをアリギエロ・ボェッテイのMappaになぞらえた論もありました。ボエッティは、1970年代以降150以上の世界地図をアフガニスタン人女性の手によって仕上げました。ボエッティは、世界の地政学と地図の変遷をプロデュースして、職人に託しました。そして、War Rugにもデザイナーがいるという断片的な声もありました。アメリカでは、その中で秀逸な構図やデザインの織物を評価するコレクターもいるようです。そして、アフガニスタン人の声も有ります。「これらのWar Rugを織って収入は得ますが、家で使いたいものではありません」War rugは、パキスタンの難民キャンプで作られていると伝え知るので、雇用対策の一つと言えるのかもしれません。
さて、経糸に緯糸、様々な色糸のパイル糸を絡ませ、どんな図様も織り上げる絨毯職人の脅威の技は、忘れられるべきものではありません。展示会場の最後に2018年、アフガニスタン、ゴール州からのJFの研修生から頂いた飾りの付いたお祈り用の絨毯がありますが、ここには、まだほのぼのとした村絨毯の趣があり、戦乱のアフガニスタンの和みの様子を伝えてくれる物となっています。
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